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          メール・マガジン

     「FNサービス 問題解決おたすけマン」

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    ★第072号      ’00−12−15★

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     <善>からぬ人

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●小説を読んでいて嬉しくなるのは、

 

どういうわけか<その時のピッタンコ>に出会うこと。  それも比較的

しばしば。  以下はディック・フランシス「直線」の一節:

 

  、、、答えようがなかった。 私は哀しい思いでその手帳を取り上げ、

  そのまま開いた。 「悪は善を軽蔑する」私が読み上げた、「悪人は

  まともな人間を見下す」    「毛沢東の箴言だ」気を取り直した

  トレローニイが皮肉な口ぶりで言った。

 

また、ずっと離れたページに、

 

  「法が自分にとって不都合であれば無視する。 自分には当てはまら

  ない」    「なんだって?」

  「グレヴィルがあの手帳に書いていた言葉です」

 

 

第70号の<社会性欠如>の人々が<善>意の調査員に示した態度は何か

軽蔑的で、積極的<悪>ではないにしても、<善>からぬものではあった、

と思います。  <見下す>ならせめて書き込みくらい完璧にして欲しい

ところだったけれど、、、    一方、100%完璧ではないにしても、

 

応対の丁寧な人は、記入の誤りも少なかった。  「人は見かけによらぬ

もの」ではなく、かなり「よる」もの、ではあるまいか。  実際、

 

相手に迷惑をかけていることが明白なのに平然、いやむしろ傲然、何でも

自分の思い通りになる、と確信するかのような人が近ごろ増えております

が、だいたいはTV映像の<見かけ通り>ですからね。

 

普通なら、多少の自覚があって、何となく「申し訳ない」と身をすくめる

気分になるのでしょうが、まるでそうならないタイプが大手を振っている。

 

自分のダメを棚に上げて<善>き人々を軽蔑するかのごとき、、が目立つ

ようになったのは、あの<サッチー騒動>の辺からだったかな。

 

あらゆる分野に問題人物続出。 不思議にどれも、身勝手な解釈の主張に

終始する、という共通点があった、、 ように思われます。

 

そりゃ常識外れだぜ、、 なんて常識的な抗議は受け付けない人々、だが

ちょっと待て。 <常識>が変わってしまったのかも。 こんな話もある、、

 

*   *

 

某資格試験に備えてその種の予備校に通っている若者から聞いたのですが、、

 

その資格を得るのに<人格者>であることが必要かどうか、というテーマ

でのディベートを課せられた。  じゃ、まず、チームの作戦を立てよう。

 

必要、不要、どちらであれ、そこを固めておかにゃ、と念のためメンバー

に質問してみた。 「<人格者>と聞いて、どんな人を思い浮かべる?」

 

その答えに愕然。 何と「威張った人」、「自分の考えを押し付ける人」、

「下の者の言葉に耳を貸さない人」など、常識的定義とは正反対の<善>

からぬ人物像ばかり。  おいおい日本語、どうなっちゃってるんだ?

 

もちろん辞書的解釈に統一して演習は進めたが、相手チームも同様に混乱

していた由。  その不思議さに、あとで個別に確かめ直すと、前記は

 

職場の上司や経営者、学校の先生や先輩など、彼らが仰ぎ見る相手の人々、

即ち<人格者たるべき人たち>の印象であったことが判明したそうです。

 

組織のエライ人、本来<善>くあるべき人たちが実は、威張っているだけ

のダメな人、とすでに見抜かれている。  ご本尊たちは気付かないのか、

いや自覚症状あればこそ逆に、権威維持のため余計に威張るのか、、?

 

どっちを見てもそんなのばかりだから、<人格者>は即ち<善からぬ人>、

で本来の意味、つまり<常識>が変わってしまった、、 ように思われる。

宮沢賢治風に言えば「ソンナヒトニワタシハナリタクナイ」というところ。

 

組織の上下関係ではやむなく一応<尊重>するが、人間としては<尊敬>

など出来ないわけ。  たしかにそんなエライさん、どこにもいますな。

 

*   *   *

 

<一人では生きて行かれない>のが人間。  だから、あまり自分本位に

我を通すのは<善>からぬこと。  <常識>外れであることは明白、

 

なのに何故、その種<善>からぬ手合いがゾロゾロ現われ出て来るのか?

戦後長らく、<人間の基本>をシツケなくなっているから、でしょうな。

 

<ものごとの善し悪し>すら親が子に教えなくなったのは、私の記憶では

ずいぶん昔からです。  それは昭和33年の秋でしたが、

 

ヒョンなことで見合いをさせられ、そのまま一直線、翌年5月に結婚した

我々夫婦の短い交際期間中のこと。 ある夕方、彼女を送り届けて路地脇

に車を停め、僅か数分後。 戻って驚いたことに、

 

見知らぬガキどもが泥靴で車に入り込み、ジャレ合っていた。 コラ!で

彼らは逃げ散ったが、中で一番年長らしいのに狙いをつけ、家まで追って

捕まえた。  母親が飛び出して来る。  委細説明し、彼を叱るように

奨めところ、何とまあ。  我が子の無礼さを詫びもせずにカウンター・

パンチ、「未だコドモよ、分かるわけ無いでしょ!」  ええっ?!

 

それが小6。 「良い悪いなら1歳でも分かります。 <分からない>は

親が教えないからです。 今がチャンス、教えなさい」と注文を付けるに

留めましたが、、   そこは天下のN光学社宅群の一角でした。

 

40年前すでに形は一人前だった親が、次世代のシツケを怠っていたわけ。

その時のガキも何人かの子持ちにはなったろうし、それもきっと<しつけ

ない親>を演じたに違いない。  つまり先日、

 

国勢調査員として出会った<社会性欠如>の人々も、一朝一夕の産物では

ない。  ガキ共はダメ親たちの誤った確信通り、「分かるわけが無い」

<善>からぬ人間になっただけ、、 と私は見ております。  即ち

 

***************

 

 

 

●<善>からぬ輩は

 

<善>からぬ親を映す鏡。  掃き溜めに鶴が舞い降りることはあっても、

トンビがタカを生むことは決してありません。

   

算術なら (-1) × (-1) は必ず (+1) ですが、人間の場合、親がどちらも

(-) の掛け合わせなら、よほどのことでもない限り(−)の子が出来ます。

 

ダメな奴に呆れて「親の顔が見たい」など言いますが、見ても得るところ

なんかありませんよ。  原因は掴めるだろうけれど、是正はまず不能。

 

少年法にもPLの概念を応用し、親をも罰することにすべきだと思うが、

法律に関わる人々も<親>だから、賛成する度胸は多分あるまい。

 

かくて生物学的原理、<善>からぬ奴を生み育てた<善>からぬ親が倍も

いる勘定。  <善>い方は絶対少数派、ですから、戦って勝ち目はあり

ません。  数は力なり!  職場でも、そうなんじゃありませんか?

 

 

サーモスタット屋当時の相棒N氏が連れて来た営業マン、T君とM君は

同輩ながらきわめて対照的な性格でした。 東京下町<川向こう>育ち

のT君はハシッコイ奴、四国生まれのM君はノンビリ・オットリ。

 

そのM君が、ある日呟いた。 「マジメにやってるお前はバカだ、って

T君が、、」  頭記「悪は善を軽蔑する」を目にした時、その場面が

鮮明に思い出されました。  しつけの違いが人生を分けるかのよう、

 

二人ともサーモスタット向きでなく、数年でスピン・アウトしましたが、

その後T君は段ボール回収業の<社長>に、M君はモールド・スイッチ

なるものを開発、そのメーカーM電子工業の社長に、それぞれ収まった。

 

「職業に貴賤なし」だが、インダストリーは industrious な人のもの。

<善>はあまり<急げ>ないのです。 「急がば回れ」に耐え、幸運に

恵まれた者が生き残る世界。  工業国日本の将来、まさに危うし。

 

*   *

 

サーモスタット屋はマジメでなくちゃ出来ない商売ですが、家電の世界

は無理無体を敢えてするところがあるので、初めはかなり戸惑いました。

 

言うこと聞かなきゃ注文はもらえないし、言いなりになってりゃ骨まで

しゃぶられてしまう、、  何しろサーモスタットは本質、受注生産品。

 

内部機構はこちらの設計でご採用頂くけれども、何度で作動させるのか、

どう取り付けるかなどは、あくまでも顧客仕様に従う。  そのため、

 

関東系H社には、色々な仕様で何種類もサンプルを作らされ、過酷試験

でダメを出され、またサンプルを作らされ、、 ところが、それが単に

我が社の技術を盗むためだった、と知るのに1年半。 人生を無駄遣い

させられてしまった。 もちろんH社は顧客リストから除外。  また、

 

関西系S社には共同開発の途中で梯子を外され、装置や製品が宙に浮く

ことになってしまった。 テキは冷たくも「ホカスほか無いだろう?」

つまりどうせ棄てるんだろう、なら安く、、 と叩く。  ヤルネエ!

 

<善>は百戦錬磨の<ワル>から見ればナイーブ、つまり世間知らずの

バカ、でした。 手を変え品を変え、寄ってタカってのシゴキ、でした。

 

そこで得た教訓: 自社技術を確立し、自社ペースで売らせて頂くのみ。

 

*   *   *

 

普通は「これをしよう!」を戦略と称するが、サーモスタット屋は少し

違った。 「これはするが、それはしない」 戦略的と言うには選択的。

 

どんな注文も、応じる範囲は私が決める。 これで宜しければ受けます

が、ダメなら他社へどうぞ。  何が何でも受注しよう、とは考えない。

<範囲>を広げる努力は人一倍しましたが、限界あり。  その結果、

 

顧客との折衝は<売り込み>より、一見<お断わり>に傾く。 これは

フツーの営業マンには出来ないこと。 前記マジメのM君それで辞めた。

言うべきことを懇切に教えたのだが、「私にはとても言えません」。

 

ひとが嫌がることはさせない方針。 じゃ、オレが行って言うよ。 で、

営業マンは立場が無くなる、いなくなる。  皆いなくなりゃ、自分で

するっきゃなくなる。  その私の本質は、あくまでも製造現場の長。

 

成績を挙げたいばかりに<出来ない相談>を背負い込んで帰る営業マン

とは違う。 この私ですら出来ないことを引き受け、帰って部下たちに

押し付ける?  トンデモナイ!  「お受けできません。ご勘弁」。 

 

しかし顧客側も簡単には引っ込まない。 各部署の担当者、その上司、

果ては事業所長まで、次第に数を増す。 だいたい1ダースの専門家を

相手に、一人で丸一日戦うことしばしばでした。  設計、素材、加工

方法、品質管理、、 何でも来い。  オレはダ・ビンチの再来か?!

 

<素材>もバイメタルからバネ材、接点材、構造材、樹脂、セラミック、

<加工方法>ならプレス、成型、溶接、組み立て、金型やジグ類、さら

には工程各段階にからむ隠微複雑な熱処理、、  その理論と実際知識。

 

品質管理は大学で少々学びましたが、ほかはすべて独学。 振り返って

みると、有言実行に徹するのはたしかに楽じゃありませんでした。 が、

テキはそこまでやらない。  だから最終的に、私が負けるわけ無い。

 

*   *   *   *

 

これらコンテンツは、いわば弾丸。 それを的に打ち込むには<武器>

が必要。  それは?  論理の枠組み、<プロセス>ではあるまいか。

 

闇雲にコンテンツをぶつけても、テキにはコタエない。 急所にビシリ、

と行かなくちゃ。 幸い私は、作動原理から品質保証まで一貫して自分

で手がけていたので、生き字引<生きプロセス>を演じることが出来た。

 

当時 Rational Process など知る由なかったが、していたことは同然。

頭の中にワークシートを広げておき、顧客の要求や疑問を受け取っては

適切に配列し、空白は自分のコンテンツで埋め、そのトータルが必然的

に指向するところを結論としてお話し申し上げ、ご了解頂いたという形。

 

議論に加わる人数が多く、職種が網羅されるほど結論の確かさが増すの

だから、一日がかりになろうとディスカッションは有益、周知徹底まで

図れてしまう。  その充実感、爽快感。  そして多少の征服感。

 

かくて各社、冷凍機年度、暖房機年度が始まる前に、それぞれ年1回、

私が打ち合わせに出向いて1日で済ませてしまう。  残り364日は

製造現場でシコシコ働きましたが、基本的に定時間、徹夜・休出は皆無。

 

<営業マンなしの製造業>がどれほど快適かつ効果の高いものか、想像

して頂くことは難しいかも。  税後利益率10%、流動比率300%、

当座比率200%、、  小さなダイヤモンド、と言われたものです。

 

ただそれは、努力の成果ではあっても<企んで得た成果>ではなかった。

だから今も、先見性とかビジョンとなると、全く自信なし。  あれは

多分、別種の才覚。  自分のウツワはわきまえているつもりです。

 

サーモスタットという目立たない、小さな部品に着眼し、<ディスク・

タイプ>に限定して技を磨く。 そして、我々の努力を評価して下さる

顧客に集中してサービスする。  そんなやり方じゃ大きくならないよ、

とよく言われたが、大きくすることは MUST でも WANT でもなかった。

 

<お客様にご迷惑とならぬこと>は大きな WANT でしたが、それも身の

程を知るが故。 「3年倍増」の高度成長時代にしては欲張らなかった。

いや、ウツワのせいで<欲張れなかった>だけ。  従って、  

 

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●非常識と言うなら私のは

 

<日本の非常識>的働き方でしたが、基本精神は<真、善、美の追求>。

しかし<真>と<美>は自己評価困難、従って相当に努めた、達成した

と言えるのはもっぱら<善>。  諸悪莫作、諸善奉行を心掛けました。

 

家電品の安全と快適に不可欠の機能部品であり、顧客の要求仕様通りの

商品。 あっても無くても<良い>ものではない。 だから必ず売れる。

能力一杯作って、売れ残り無し。  まさに製造業の理想、でしたな。

 

商売の種類や規模にもよるでしょうが、その気なら今の時代でも出来る

はず。 むしろネットを介してのビジネスは、それに類すると思います。

ただし、<営業チーム無し>というところから始まる逆の順序、かも。

 

それで成功するには、、

 

 

顧客のニーズを掴むにも、提供しうるものを示すにも、<善>を貫き、

しかも相手さんの<悪>的ペースに巻かれないようにする必要がある。

それは多分、コンテンツの豊かさだけでは達成できないことです。

 

「貫く」とはプロセス的一貫性。  それが天性の人もいるでしょう

が、さらに安全のため、技法でチェックをかけることをお奨めします。

 

だから、、 で、毎度のCM。

 

  ★ Rational Process は、<善>ビジネス必勝のツール!

                         ■竹島元一■

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